茂山 逸平
大蔵流狂言師
言われたままに演ずるのではなく、舞台で自分を信じきること。それがぼくのセルフ・リーダーシップです。
- 来歴
- 1979年6月12日生。平成10年卒業
二世茂山七五三の次男。父および祖父4世茂山千作、曽祖父3世茂山千作に師事。1983年『業平餅』の童で初舞台。2001年『三番三』を披く。映画「将軍家光の乱心、激突」やNHK朝の連続テレビ小説「京、ふたり」「オードリー」、NHK大河ドラマ「武蔵」などに出演。
- 来歴
- 1979年6月12日生。平成10年卒業
二世茂山七五三の次男。父および祖父4世茂山千作、曽祖父3世茂山千作に師事。1983年『業平餅』の童で初舞台。2001年『三番三』を披く。映画「将軍家光の乱心、激突」やNHK朝の連続テレビ小説「京、ふたり」「オードリー」、NHK大河ドラマ「武蔵」などに出演。
- 東山を選んだ理由は?
- 父親の茂山七五三(しめ)と叔父の千五郎、千三郎がいずれも東山高校の出身で、いとこの正邦も東山に行っていました。それで、叔父やいとこがいかにも楽しそうに東山の話をするもんですから、小さい頃から東山に魅力を感じていました。四歳違いの兄も入学して、その学生服姿がカッコいいなあと思ったので、中学の時にはぼくも東山に行こうと決めていました。
- 東山の思い出は?
- 一度だけしか参加できませんでしたが、文化祭で印象に残ることがありました。「スーパーボールすくい」を企画して、いざやろうとしたら予算が少なくて、用意した容器の中に少ししか浮かべられなかったので、当時着任したてだった担任の杉谷先生に相談したんです。そうしたら、おそらく自費だと思うのですが、補助してくださって、おかげで容器いっぱいに浮かべることができたんです。若くてぼくらの兄貴分みたいな存在でしたね。
- 東山で得たものは?
- 東山で得た最大のものは、一生付き合っていける友人ですね。高校に入って出会った友人ももちろんいますし、小学校の時友人だった子が一貫コースに進んでいて、ぼくが高校に入ったので再会した友人もいます。今もしょっちゅう一緒に遊んでいるし、相談相手にもなってもらっています。それに、男子校だったという気安さもあるんでしょうが、中学時代に比べてずいぶん社交的になったと思います。
- あなたにとってのセルフ・リーダーシップとは?
- 狂言は伝統芸能なので、自分をよほど強く持っていないと、言われたままでやることになってしまいます。舞台でどれだけ自分を信じられるかが大切で、勝負強さが必要になってきます。それが、ぼくにとってのセルフ・リーダーシップといえるでしょうね。
2003年取材